2013年4月30日火曜日

4回目の化学療法開始

4月初めに入院予定であったが、病院の都合もあるが、


なかなか連絡が来ない。


前回は、まさか入院の前日にいきなり電話が掛かってきて


『明日から入院してください。』


と言われ、病院側の都合に翻弄されまくりであった。


前回の事も含め、仕事をしながらいつでも抜ける事が


出来る環境を作っていた。


結果、中旬までしっかり働き、18日より入院となった。



今回、病室はハズレ‼‼‼


大外れ‼‼‼‼




2013年4月3日水曜日

生きてます。。。

タイトル通り、術後半年が経ち転移もなく生きてます。

毎月の検診でドキドキしながらCTを撮り、診察室で主治医から『大丈夫だね』

の言葉がほんとにホッとする。

術後より抗がん剤治療が始まった。

9月に1回

11月に1回

1月に1回

そして今月より、4回目の抗がん剤

正直言うと、仕事復帰も出来て感謝しているし、会社も全面的にサポート

してくれているが、果たしてここまで甘えてしまって良いのか。

この治療も、絶対!という言葉では言い表せない。

治療するために、お休みを頂いている立場であと3回もあるが本当にいいのか。という

不安が多い。


2012年9月1日土曜日

化学療法の為に入院

7月8日に退院して久しぶりの我が家で、とても嬉しかったな。

病院から戸外へ出ると、体力が減ったせいかフラフラしながら帰宅した

2週間ほど経ってから、新橋にある整形外科にあるリハビリを開始した。

初めてのリハビリ通院となり、ほぼ毎日通院したおかげで

右肘が90度以上曲がらなかったのが150度まで伸ばすことができた。

ここの病院の先生たちはとても親切で、本当にありがたかった。

ただ、毎日のようにリハビリに行っていたので、治療費が意外にかかる

リハビリ期間→25日間 リハビリ(2単位+指・腕) 1700×25=42,500

地元から新橋駅まで、往復800円   計20,000

合計62,500

痛い出費だ。。。

8月4日にがん専門病院へ診察

結果は問題ないが、微量のがん根治の為化学療法の入院手続きをする。

入院手続きの電話がすぐに掛かってくるものと思っていたが、8月30日に来た。

かなり待った。。。

しかも、月またぎの入院って通常よりも入院費が違うらしい。ちょい勉強しなくちゃ。


 で、今回は化学療法による入院

その薬剤は、赤い血液=アドリアシン 通称赤玉

8月31~9月3日

8月31日→カイトリルバッグ+デキサート(吐き気止め)→ラクテック→アドリアシン→ラクテックG

9月  1日→カイトリルバッグ+デキサート(吐き気止め)→ラクテック→アドリアシン→ラクテックG

9月  2日  ラクテックG

9月 3日  ラクテックG

予定。


ここの病院の良いところは、主治医や看護師、薬剤師、がチームとなって患者の気持ちになって

優しく声をかけてくれる。

 毎日、病棟まで来てくれるのは本当にありがたいです。

化学療法を1日目終了し、今のところ体調の変化はない。

2012年8月7日火曜日

感謝感謝感激

手術後、病棟に戻ると起き上がることが全く出来ない。床ずれ防止のために柔らかいベットに

なっていたことで、力が入らなく3日間起き上がれなかった。

そして、身体には血液の管が2本・点滴・尿管などもあり、身動きがほとんど取れない。

この尿管の管はすごいね。

勝手に排出されていくというのが、信じられない。また、管が尿管に入っていると想像しただけで

痛々しい。


 術後の3日間はほぼ食事をとる気力が無かった。母親が買ってきてくれたウィダーインぜりー

のみしか口に受け付けなかった。噛む行為自体が倦怠さがあり病んでいた。


3日目になり、このままじゃアカンという事で、看護師さんにお願いして、身体を起こして貰った。

久しぶりに見下ろすベット付近、風景がとても懐かしく嬉しかった。

腕が吊るされているのだが、歩きたい衝動に駆られ、看護婦さんに支えられながら歩いた。

1っぽ1っぽがゆっくりであるが、嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。

生きてる。生きてる。という実感がとても嬉しかった。


傷口は痛むがせっかく起きたことで、1時間は病院内を歩いていた。

他の看護婦さんも心配してくれて声を掛けてくれた。

あざーす!!みなさんのおかげです!!

翌日より、食欲が戻ってきたのである。

2012年8月5日日曜日

手術からICUへ

前日より飲食を制限されていたので、前日21:00まで水を飲ん

だりと無駄に過ごしていた。案の定、夜中にトイレへ行く回数が非

常に多くなった。

 結局寝付けず手術日を迎えた。予定では8:40~17:00と

約8時間の大手術である。実際は、12時間30分だったようだ。


家族がすごく心配してくれた。そして、心配をたくさん掛けて

本当に申し訳ない。そしてありがとう。面と向かって素直に

言えないので、この場を借りて、感謝したい。

 手術台まで、歩いて向かう。緊張したが、ここでも看護師や

整形外科医が気さくに話しかけてくれる。じつにありがたい。

元々、右上腕の肘に腫瘍が10cm強の腫瘍ができて神経を

圧迫していて、親指のしびれがあり、さらに肘も真っすぐは

伸びなかった。

 痛がりながらも、看護師さんが楽な姿勢を整えてくれて、

すごく嬉しかった。


12時間後、目が覚めるとそこは手術台の上だった。

意識が全くなく、起き上がって右腕をチラッと見てしまった。

背中の皮膚を腕へ移植したので痛々しい。。。


さらに床ずれなのかやけに背中が痛い。まるで、背中に木の板が

挟まってるんじゃないか?というくらいだ。

  さらに、手術室はひんやりしているので、めっちゃ寒く

ベットに移ったらガチガチブルブルだった。

12時間後の手術だったので、そのままICUにて翌朝10時まで

居ることに。喉が渇くが飲めない。

この喉が渇くというのが辛かった。前日より飲食を制限し24時間

経過し、さらに翌朝まで待たないといけないのが非常に辛かっ

た。言葉もほとんど喋られないほど体力が落ちていた。

  33時間ぶりの水の美味さは尋常ではなかった。

10時過ぎに一般病棟へ移る。

同室のおじいちゃんに『おかえり!』と言われ、さりげない一言

だが、とても嬉しかった。



手術前夜

手術前に今回の手術チームの先生たちの紹介を受ける。

とっても、患者想いで気さくに話しかけてくれる。患者の気持ちを和ましてくれる。こちらとしては

不安ではあったが、一つ一つの思いやりがとても心地よかった。

手術方針もわかりやすく丁寧に教えてくれた。

今回は、全身麻酔による手術になるそうだ。

俺は、麻酔といったら歯の治療や部分麻酔の経験しかなかったので、意識が無くなるという

説明を受けてもピンとは来なかった。

TVのイメージでマスクをして、吸引して眠くなり麻酔医が『○○さ~ん』『○○さ~ん』と呼び掛けて

その後オペが開始になると想像している。

吸引して10秒位で眠りますよと聞いていて、『んな、あほな!10秒以上起きてますよ。ははは』

と、豪語したのであるが、結果は・・・
















2秒で落ちました。





さて、手術前夜の出来事で、便を緩くして排便するというのがある。座薬だ。

どうも、座薬は苦手意識があり、小学生の頃田舎でたらふくスイカを食べて腹を下し

祖母にぶっとい注射で浣腸をされたことがある。

当時は、訳が分からず、なんで腹を下してるのに水を入れるの!とずっと思っていた。

四つん這いになり、今すぐに漏れそうなくらいの経験があり、それ以来座薬はトラウマだった。

そして、座薬を入れ、最低でも15分は我慢してくださいと言われ

いざ!挿入!!


ぐっおぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!思った通りのあの漏れそうな感覚。

32のおっさんが漏らしたら笑いものだ。

必死にケツを挟む。挟む。はさむ!!!!!!!!!!!!!!!!

5分経過!





7分経過!                            



あれ!?



9分経過!


んんん!?


11分経過


全然痛くない。ガスが溜まってない感覚に陥る。





15分余裕で経過


20分経過

30分経過

40分経過

結局、ウンチも少量しか出ませんでした。あ~良かった。


21時より飲食・飲水が制限され就寝




手術にビビリまくり一睡も出来ませんでした。