2012年8月7日火曜日

感謝感謝感激

手術後、病棟に戻ると起き上がることが全く出来ない。床ずれ防止のために柔らかいベットに

なっていたことで、力が入らなく3日間起き上がれなかった。

そして、身体には血液の管が2本・点滴・尿管などもあり、身動きがほとんど取れない。

この尿管の管はすごいね。

勝手に排出されていくというのが、信じられない。また、管が尿管に入っていると想像しただけで

痛々しい。


 術後の3日間はほぼ食事をとる気力が無かった。母親が買ってきてくれたウィダーインぜりー

のみしか口に受け付けなかった。噛む行為自体が倦怠さがあり病んでいた。


3日目になり、このままじゃアカンという事で、看護師さんにお願いして、身体を起こして貰った。

久しぶりに見下ろすベット付近、風景がとても懐かしく嬉しかった。

腕が吊るされているのだが、歩きたい衝動に駆られ、看護婦さんに支えられながら歩いた。

1っぽ1っぽがゆっくりであるが、嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。

生きてる。生きてる。という実感がとても嬉しかった。


傷口は痛むがせっかく起きたことで、1時間は病院内を歩いていた。

他の看護婦さんも心配してくれて声を掛けてくれた。

あざーす!!みなさんのおかげです!!

翌日より、食欲が戻ってきたのである。

2012年8月5日日曜日

手術からICUへ

前日より飲食を制限されていたので、前日21:00まで水を飲ん

だりと無駄に過ごしていた。案の定、夜中にトイレへ行く回数が非

常に多くなった。

 結局寝付けず手術日を迎えた。予定では8:40~17:00と

約8時間の大手術である。実際は、12時間30分だったようだ。


家族がすごく心配してくれた。そして、心配をたくさん掛けて

本当に申し訳ない。そしてありがとう。面と向かって素直に

言えないので、この場を借りて、感謝したい。

 手術台まで、歩いて向かう。緊張したが、ここでも看護師や

整形外科医が気さくに話しかけてくれる。じつにありがたい。

元々、右上腕の肘に腫瘍が10cm強の腫瘍ができて神経を

圧迫していて、親指のしびれがあり、さらに肘も真っすぐは

伸びなかった。

 痛がりながらも、看護師さんが楽な姿勢を整えてくれて、

すごく嬉しかった。


12時間後、目が覚めるとそこは手術台の上だった。

意識が全くなく、起き上がって右腕をチラッと見てしまった。

背中の皮膚を腕へ移植したので痛々しい。。。


さらに床ずれなのかやけに背中が痛い。まるで、背中に木の板が

挟まってるんじゃないか?というくらいだ。

  さらに、手術室はひんやりしているので、めっちゃ寒く

ベットに移ったらガチガチブルブルだった。

12時間後の手術だったので、そのままICUにて翌朝10時まで

居ることに。喉が渇くが飲めない。

この喉が渇くというのが辛かった。前日より飲食を制限し24時間

経過し、さらに翌朝まで待たないといけないのが非常に辛かっ

た。言葉もほとんど喋られないほど体力が落ちていた。

  33時間ぶりの水の美味さは尋常ではなかった。

10時過ぎに一般病棟へ移る。

同室のおじいちゃんに『おかえり!』と言われ、さりげない一言

だが、とても嬉しかった。



手術前夜

手術前に今回の手術チームの先生たちの紹介を受ける。

とっても、患者想いで気さくに話しかけてくれる。患者の気持ちを和ましてくれる。こちらとしては

不安ではあったが、一つ一つの思いやりがとても心地よかった。

手術方針もわかりやすく丁寧に教えてくれた。

今回は、全身麻酔による手術になるそうだ。

俺は、麻酔といったら歯の治療や部分麻酔の経験しかなかったので、意識が無くなるという

説明を受けてもピンとは来なかった。

TVのイメージでマスクをして、吸引して眠くなり麻酔医が『○○さ~ん』『○○さ~ん』と呼び掛けて

その後オペが開始になると想像している。

吸引して10秒位で眠りますよと聞いていて、『んな、あほな!10秒以上起きてますよ。ははは』

と、豪語したのであるが、結果は・・・
















2秒で落ちました。





さて、手術前夜の出来事で、便を緩くして排便するというのがある。座薬だ。

どうも、座薬は苦手意識があり、小学生の頃田舎でたらふくスイカを食べて腹を下し

祖母にぶっとい注射で浣腸をされたことがある。

当時は、訳が分からず、なんで腹を下してるのに水を入れるの!とずっと思っていた。

四つん這いになり、今すぐに漏れそうなくらいの経験があり、それ以来座薬はトラウマだった。

そして、座薬を入れ、最低でも15分は我慢してくださいと言われ

いざ!挿入!!


ぐっおぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!思った通りのあの漏れそうな感覚。

32のおっさんが漏らしたら笑いものだ。

必死にケツを挟む。挟む。はさむ!!!!!!!!!!!!!!!!

5分経過!





7分経過!                            



あれ!?



9分経過!


んんん!?


11分経過


全然痛くない。ガスが溜まってない感覚に陥る。





15分余裕で経過


20分経過

30分経過

40分経過

結局、ウンチも少量しか出ませんでした。あ~良かった。


21時より飲食・飲水が制限され就寝




手術にビビリまくり一睡も出来ませんでした。

入院 (6月18日)

6月に入り、職場にも病気の事を伝えると、病気を一刻も直して

職場復帰出来るように応援して頂いた。とても、嬉しかったです。

 職を一時的に休むわけなので、理由も告げずに去るのは嫌だったので

病気について同僚や先輩後輩にも伝えてきた。


6月中旬に手術や検査などを1日掛けて行なった。

専門機関だけあって、全国から患者がこの病院に来ているようだ。

入院手続きを済ませ、受付の人に入院するには2~3週間待ちになるかもしれません。

と言われていたので、少し不安になってしまった。

 翌朝に主治医自ら電話をしていただき、明日から入院して二日後には手術しましょう。

と、連絡が入った。


 2~3週間待つと思っていたので、ラッキーじゃん!と、思いつつ主治医が直ぐに連絡をくれる

という事は、俺の腫瘍ヤバいのなんじゃね?という不安にも陥った。


そして、入院をした。

初めての入院生活。ドキドキであった。

自分の部屋は5階で窓際で最高に眺めが良い。夜ともなるとロマンチックな夜景が癒してくれる。

4人部屋だったので、一人一人にご挨拶をした。

病気は同じ癌だったので、一緒に戦って病気に勝ちましょう。という気持ちになれた。

入院初日に同じ部屋の方が手術だったようで、お昼過ぎにベットと一緒に帰ってきた。

足の腫瘍の摘出だったようで、四時間程の手術だったようだ。

 
 ベットに横たわっていて、傷口が痛むのか『あぁ~~~』『いてててててて』

と、言う言葉を聞いてビビリまくる俺。

  凹みまくる俺。。。




2012年8月3日金曜日

迷い。。。そして

悪性・良性かどうか調べるために5月23日に生検手術を受ける。

初めてのオペ。。。

器具などを頭の中で想像するだけで、怖くなった。

手術台に乗るのも初めてだし、術前の検温で37.6度と

平熱ではなく極度の緊張の中だった。

予定では16時より開始と聞いていたので、早めに着いて心を落ち着かせようと

病院内に居たのだが、主治医が『ぢゃ、今からやろか!』


「えぇっぇぇぇぇぇ!いきなりかよ!!!」

結局、1時間早く行うことに。。。



手術着に着替え、初手術台へ。。。超緊張


大学病院なので主治医(執刀医)+他医師(第2助手)+看護師+学生?が居た。

部分麻酔で腕をいじくり回す。。。


「(あ~切られてるな。削られてるな。。。)」という意識がある中で不安な出来事があった。


執刀医と第2助手の仲が悪い。

会話を聞いてて、不安になるよ。

『余計なことすんじゃねぇよ』

『血を拭くのがお前の仕事だろ!』

『チッ!』



マジで、早く終わってくれ!と心の中でずっと叫んでいた。

90分後。。。生検手術終了



術後、主治医たちの会話や患者への接し方が気になっていたのはあり、

知り合いの看護師や医者や家族会議などをした結果、悪性・良性であれ、

専門の病院へ行こうという事になった。


ただ、その病院に行くには、紹介状と生検資料が必要となるので、それを

どのように伝えるべきか考えた。病院側からすれば、生検して治療方針を決めていた

矢先に「あっちの病院いきます。紹介してよ!」とは、失礼極まりない。

 丁重に丁重に話をしたらあっさりOKだった。


生検結果はやはり悪性であった。



後に分かることだったのだが、病院によって治療方針が極端に違うもんなんだな。

T病院では、抗がん剤治療後に手術予定であった。

※一般的に抗がん剤治療が始まると3週間手術が出来ないらしい。その治療中にもし、肺や他の

臓器に転移してしまったら、危ないところだった。


今回お世話になるがん専門病院の治療方針は、即手術しましょう。だった。

がん専門病院の対応は物凄く迅速であった。自信に満ち溢れている主治医の言葉は

自分にとっては頼もしくあり、この先生に任せよう!と思えたほどだ。

  電話をして、次の日に診察し1週間後に入院し、その二日後には手術であった。



早い!全てにおいて対応が素晴らしい。


ここで、病院の話をしておこう。

がん病院というと、暗いイメージだったのだが、ここはすごく明るい。患者も笑顔が

見られ、ほんとうに癌なの?っていうくらい元気で同じ病気故に共闘意識があり

自信に繋がる。

 そして、従事するスタッフ、看護師、医者、掃除のおばさん、売店のおばちゃん達が

めちゃ優しい。

自分は、まだ闘病中ですがここには最高のスタッフが居ます。おすすめします。



2012年8月1日水曜日

32歳で癌宣告。

自分は、保育士をしている。

子どもたちと毎日馬鹿遊びをたくさんして、充実した毎日を送っていた。

2011年年末の行事で制作物を子供用のハサミで、製作準備等をしていた。

やけに右手甲のシビレが気になりだす。

日に日に、痛くなり始めていた。

お風呂に入っているときに右腕(肘付近)の異様なしこり?腫れが気になりだす。

当初は、打ち身かどこかにぶつけて、内出血・打撲程度だから、放っていた。

まさか、このあと癌を宣告されるとも思っていない。


4月になり、4歳児から0歳児へと異動した。4年目にしてリーダーになり、仕事にも

熱中していた。この頃から、右腕の腫れがひどくなり、10CM大の大きなコブらしき

腫れが確認した。しかも、腫れてる影響なのか、右手甲は慢性的にシビレがずっと

ある。

流石に、痛みも耐えられなくなり、痛み止めとして市販されている鎮痛剤を内服し

身体をだましだましで仕事をしていた。しかし、鎮痛も数時間しか効かず寢れない日

も続いていた。

ここから、数ヶ月間の癌闘病が始まる。



5月上旬 社会の世の中ではGWだ。遅番出勤だった事もあり、午前中

に病院へ行くことにした。

「湿布を処方してもらい帰るだけやし。」ぐらいに思ってた。

が、違った。。。




「えっ!?」



『タケオさん。ちょっとCT撮ろうか。採血もね』



「なになになに?。。。変な感じで看護婦もコブを見入る。触る。チェックする。」


即、CT撮影。。。



『タケオさんどーぞ。』



・・・ドッキドキの俺・・・



『CT診たんだけど、軟骨の部分に腫瘍が出来てる。ちょっと大きい病院で検査しよう。紹介状

は書いておくね明後日に行ってきて』



病名を聞いて、正直ピンと来なかった。



打ち身じゃねーの?打撲だろ?程度で見ていたのだがどうやら、



良くは無いというのは感じとれた。


GW明けにT医大病院へ行く。


診察前に尿検査・血液検査・CT検査を改めて取る。


そして、診察


あきらかに曇りがちな表情の主治医

「大きいね。これね。タケオさん。軟部腫瘍だよ。」

「良性なのか悪性なのか調べたいから、今日MRI撮ろう。時間ある?」

『はぁ・・・ありますが、その軟部腫瘍って良くないんですか?』

「進行にもよるけど、腫瘍が大きいから早い治療が必要だよ。」

この時は、まだ癌の詳しい認識が無かったので、楽観的でした。

大病というものをしてこなかったので、大丈夫であろうという思いがあった。

午後にMRIを撮り、翌日診察を予約した。

結果は、、、、



悪性だった。右上腕悪性軟部腫瘍という診断であった。


ついに癌という病気が確定し、凹んだ。

死を初めて考えた。

怖くなって、泣いた。

死にたくないよ。って泣いた。

つづく